はじめまして。東京外国語大学国際社会学部アフリカ地域専攻4年の平川杏優と申します。私は2023年2月から7月までザンビア大学に留学し、その後8月に帰国するまで一ヶ月ほど、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、エジプトを旅行していました。
アフリカでの生活を通して、日本ではできない経験をたくさんすることができました。それらの魅力や私に生じた価値観の変化を留学体験記に記していきたいと思います。読んでくださった皆様が、ザンビアおよびアフリカ諸国を身近に感じていただければ幸いです。
まずザンビアがどのような国か、そして私が留学先としてなぜザンビアを選んだのか、ということについて触れたいと思います。
ザンビアはアフリカの南部に位置する内陸国で、公用語は英語です。ただし、ニャンジャ語やベンバ語、トンガ語など現地の言語を母語としており、英語は第二言語であるという人々が多いです。また、少し地方に行くと、英語を話せない人がほとんどです。
首都はルサカで、私が留学を行ったザンビア大学もこのルサカに位置しています。ザンビアの場所とルサカの位置は、このようになっています(地図)。赤い点がルサカの大体の位置です。また、有名な観光地として世界三大瀑布であるヴィクトリアの滝を有しています。
地図:ザンビアの位置を赤く囲ってある。地図の出典:白地図専門店(URL: https://www.freemap.jp/)
そんなザンビアを私が留学先として選んだ理由は、「治安」と「貧困」です。まず治安に関して、ザンビアはアフリカでトップレベルに治安が良い国といわれています。私自身、それまで海外経験がほとんどなかったですし、両親にあまり心配をかけたくなかったため、治安は重視したポイントでした。
加えて、ザンビアは2020年に債務不履行という、国としての借金を返せないような経済的に厳しい状況に陥っていました。銅の輸出に頼るザンビアの経済は歴史的に不安定なものです。このような国の経済的に困難な状況が、国民の生活にどのような影響を及ぼしているのか、直接自分の目で見たくなり、ザンビアへの留学を決意しました。
ザンビアに到着し、最初の洗礼は水が出ないことでした。ちょうど到着から2〜3日間水が止まっており、24時間弱かけて日本からザンビアについた私は累計3〜4日お風呂に入ることができないという事態に陥りました。また、水が復活した後も寮にはシャワーが無く、桶で水をパシャパシャしながらのお風呂は腰にきました。こちら私が半年弱お世話になったお風呂です(写真1)。他にも大量のゴキブリたちに最初は悩まされました。
写真1: ザンビア大学のお風呂
そして最も困難だったのは、英語がよく聞き取れなかったり、喋れなかったことです。もともとあまり英語が得意ではなかったのですが、ザンビア訛りの英語はとても聞き取りづらかったです。
また、なんと答えれば良いか分からずぽかんと話を聞いていたところ、「あなたたち、授業は全部英語なのに大丈夫なの?日本語の通訳必要なんじゃないの?(笑)」という厳しいお言葉も頂き、これからザンビアで生きていけるのか、不安に思いながら生活をスタートさせました。
ザンビアでは
Project appraisal and implementation in developing countries (発展途上国におけるプロジェクト評価と実施)
Health economics (健康経済学)
Urbanization and development (都市化と開発)
Gender, poverty and food security (ジェンダー、貧困、食の安全)
の計4つ、週に11〜12コマ程の授業をとっていました。
どれも事例としてザンビアやアフリカの話を出してくれるので、興味深かったです。また、逆に日本ではどういう状況なのか、意見を求められることも多く、自分が日本のことをあまり分かっていないと痛感しました。
例えばジェンダー、貧困、食の安全の授業では、ザンビアで女性が働いてお金を稼ぐこと、教育を受けることの難しさや、それらに付随し、食料自体へのアクセスに加え、健康を維持するための食に関する知識に欠けているという事実を学びました。
また、ザンビアの穀物がとれる州で水害が起きた時に、食糧不足や穀物の高騰がおこったという話の流れで、日本ではそのようなことはあるのか、どのように食糧不足を防いでいるのか、と質問されました。しかしながらその質問に私はうまく答えることができず、日本で食ベものへのアクセスができないことで困ったことが無く、その食の安全を支えている仕組み自体に無関心であったことに気が付きました。
このような大変興味深い授業内容の一方で、授業がなかなか始まらなかったり、急に休講になったりするといった事態に振り回されていました。
少し意外だったのはシャイな学生が多いということです。先生が意見を求めてもしばらく無言だったり、周りの様子を伺ったりしている様子は日本とも被るところがあり、共感を抱きました。
授業の時間以外は、基本的に週に1回の日本語教師ボランティア、そして日曜日の教会での礼拝に通っていました。また、JICAの方や現地の日本人ボランティアの方々とのつながりから、農地や病院のプロジェクトを見せていただいたり、ザンビアテニス界のレジェンドである選手(ザンビアで元1位の選手)とテニスを楽しんだりしました。
日本語教師のボランティアでは、ザンビア大学にある北海道大学ルサカオフィスの方々と協力し、日本語や日本の文化に興味があるザンビア人に初級レベルの日本語を教えました。正直お話をいただいた時は英語で日本語を教える自信など全くなかったのですが、学生たちと相互に教えあいながら授業を行うことが出来ました。
もちろん私は日本語や日本の文化を教えたのですが、生徒たちからは私が説明で言いよどんだ事柄に関し、英語ではどのように表現するか、ルサカ近郊でよく話されるニャンジャ語について、またザンビアでよく見られている日本のアニメやコスプレイベントの存在など、ザンビアの中での日本に関することを教えてもらいました。
この授業の中で、ザンビアの方々の勤勉さを見ることができたのは1つの大きな収穫だと考えています。こちら授業中の様子です(写真2)。
写真2: 日本語授業の様子
また、教会の相互扶助の場としての一面を目の当たりにすることができました。教会では集めた献金から食事を用意したり、イベントを開いたり、もしくはいらなくなったものをお互いにやりとりする、というお互いを支え合う社会システムの構築がされていました。これは私が教会の方にお金を出していただき参加した学生のイベントの写真です(写真3)。
写真3: 教会のイベント
教会の方々は外国人である私にも優しく、たくさんの方に「あなたはファミリーだよ」と言っていただきました。ザンビア人の9割以上がキリスト教徒だと大学の先生は言っており、(日本の外務省によれば8割近くがキリスト教徒とされているので若干盛られている可能性はありますが…)お互いが助け合う場としての教会が各地にあり、国全体の経済状況が悪い中でも人々が支え合いながら生活を作っているというのは大きな発見でした。
現在の日本、特に都会ではこのような地域共同体は廃れてきていますが、昔はどうだったのか、またザンビアはこれからどうなっていくのか気になるところです。
ザンビアに適応し、最初の困難に打ち勝って4月まで過ごしていた私ですが、ついに体調を崩しました。それはザンビア大学の大学院生50人前後と共に行った、リヴィングストンにあるヴィクトリアフォールズへの学生旅行から帰った後のことでした。
先に断っておくと、この旅行は本当に素晴らしいものでした。滝はそれまでの人生で一番感動した光景でしたし、現地の部族長に話を聞くという貴重な体験もさせてもらいました。この写真はヴィクトリアの滝と、部族長に挨拶をした後の集合写真です。ちなみに女性は部族長に謁見する際、全員腰にチテンゲと呼ばれる布を巻くことを義務付けられていました(写真4; 写真5)。
写真4: ヴィクトリアの滝
写真5: スクールトリップの集合写真
しかし寮に帰った翌日、吐き気と発熱に襲われ、ダウンしてしまったのです。意識が朦朧とする中ふとスマホを見ると、なんとこの旅行のグループほぼ全員が何らかの体調不良を訴えていました。
最も怖かったのは、病院に行った皆の診断結果が違ったことです。ただの風邪と言われている人もいれば、Typhoid(腸チフス)と言われている人も、ただの疲れだと言われている人もいました。さすがに同じ原因なのではないか、と不思議に思いながら、2日ほど何も食べられない日が続き、もう終わったかもしれない、と弱気になっていました。
しかし、寮の同室の子や他の留学生、ザンビアの友人たちに助けてもらい、なんとか生き延びることができました。1か月ほど週末になると発熱する状況が続いたのですが、野菜を多めに摂取したり、友人が家に来て料理を作ってくれたりしているうちにやがて回復しました。辛い時に周りに人がいてくれるありがたさを痛感しました。
ザンビアで様々なものに対する考え方が変わったのですが、ここでは最も変わったことについて触れたいと思います。
それは「分かり合えない人はいる」ということです。何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、本当に常識が違うのだと思うことが何度もありました。例えば、私が数週間の旅行に行って寮の部屋に帰ると、冷蔵庫が中身ごと消えているということがありました。
結局泥棒などではなく、寮の人が寮の持ち物である冷蔵庫を別の場所に移しただけでしたが、普通は一報入れるものなのではないか、勝手にパーソナルなスペースに入るのは許されるのか、と衝撃を受けました。自分は思っていた以上に日本の常識を当たり前だと思っていたことや、その常識とザンビアの常識は違うのだということを痛感しました。
このような点は一生分かりあう予定はないのですが、自分がどうしてほしいのかを理解し、相手はどう考えているのかを伝えあい、お互いを尊重し合うことが大事なのだろうなと思いました。今は笑えますが泥棒かと思って震えて眠った一夜は返してほしいですね。
ザンビアに到着した当初、自分は本当に生きていけるのか、不安な気持ちがとても大きかったです。しかし周りの優しい方々に支えられ、様々な学びを得ながら生き抜くことができました。ザンビアで人の優しさに一番驚いたのは、留学生の友人がタクシーに置いてきてしまったiPhoneが戻ってきたことです。財布が戻ってくるのは日本だけ、などと言いますがそれはとんだ自惚れなのかもしれません。
英語が最初全然分からなかった私に何度も話してくれたり、バスでお金をたくさん取られるところだった時に助けてくれたりしたザンビアの方々の優しさに触れることができ、とても充実した留学生活となりました。最初に厳しい言葉をくれた人も、私が頻繁に話しかけに言っていたところ英語の上達を感じてくれたようで、別れの瞬間には「日本に帰国しても私の家族よ」と言ってくれました。
加えて、「なんとかなるさ」というメンタリティーが獲得できたことは大きな成長でした。アフリカ旅行中は、思い通りに行くことなどほぼなかったですが、ザンビアからボツワナへの乗り合いタクシーでたまたま一緒になった日本人とナミビア旅行をともにするなど、そこから新たな出会いが生まれることもあり楽しむことができました。
これらの経験を通じ、また「戻りたい」と思えるザンビアの魅力が、ここまで読んでくださった方々に少しでも伝われば幸いです。
最終更新:2025年3月27日